鞭痕もそう。。
ご
調教いただいた後、身体に刻み込まれる鞭痕を愛しく想うのも、「
主様の奴隷としての証」を自分の身体に刻み込んでいただけたことが嬉しくて…
今考えると、目に見えるものや、
主様から頂くお言葉が全てで、その奥にある目に見えない
主様の想いや
主様が結んでくださった絆を感じとることが出来てなかったようにも思います。
今もまだまだ未熟だと感じる部分が多いですが、当時の私は未熟なだけではなく、
主様をも欺く非礼な奴隷でしかありませんでした。
自分自身に嘘を吐き続け、いい子を演じ続けてきたわたしは、
主様をも欺いていたんです。
従順なフリをして…
わたしは主様を裏切った経験があります。
主様に飼われていながら、他の男性に遣われていたんです。
主様に命じられた
貸出のようなものではなく、自らが別の相手を求めるという奴隷としてはあるまじき過ちを犯しました。
裏切り行為以外の何ものでもありません。
しかも、その犯した過ちを主様に申告してお詫びをすることもせず、ひた隠しにして奴隷としてお仕えしていました。
実は主様はそのことにも気づいておられたので、なんども私の口からカミングアウトできるように、促して下さっていました。
それでもわたしは自分からは何も言えず、主様を欺き通そうとしていました。
私のことは何でもお見通しの主様です。
欺き通すことなどできるはずもないのに…
裏切り行為をしていたこと、結局自分からは言い出せなかったのですが、主様のお導きによって、過ちを犯してしまったことを晒け出してお詫びすることができました…
それでも自分を正当化しようとしたり、核心の部分は言葉を濁すようなことをして…
実際のところ、本当に想いだせないこともあったりしたのですが、とにかく私が溜め込んでいたものを全て吐き出させて楽にしてやろうと、ご自身が傷つかれることが分かっていながら、とことん向き合ってくださいました。
何日も何日もかけて、一つ一つの矛盾を指摘しながら、何一つ隠すことが無いよう、嘘を吐かせることが無いよう、玉ねぎの皮をむくように、時間をかけて、一つ一つのお話を訊いてくださって、全てを晒け出させて下さいました。
「もうすべてが終わり」としか思えませんでしたが、主様は全て吐き出した私を受け入れてくださいました。
主様を欺いていた私をです。。。
過ちを犯したわけですから、罰(といっても主様の感じた痛みに比べたら軽い軽い罰です…)は与えていただきましたが、私を「奴隷として飼うのを止める」という判断はなさいませんでした。。
裏切り者のわたしを受け入れてくださったんです。。
私の想像を越える痛みを感じていらっしゃったはずです。
裏切り者の私を受け入れることがどんなに苦しいことだったか。。。
丸裸になった私の心を包み込んで下さった主様。。。
そんな苦しくて痛い想いをしてまでも、わたしを受け入れてくださった主様に、改めて一生かけての忠誠を誓いました。
心からの誓いです。
自分の犯した過ちをどんなに悔いても、元の信頼関係を取り戻すことはできないということは分かっています。
だからこそ、今こうして主様に飼っていただけていることに心から感謝し、二度と同じ過ちを繰り返さないという気持ちをお伝えし続けるために、わたしは精一杯の努力をさせていただいています。
その積み重ねが、主様と私にしか分からない「見えない絆」として、太く強固なものとなって紡がれていると感じています。
わたしの首には、目に見える
首輪をハメることはもうないと思います。
主様の奴隷としての証。
淋しくないわけではありません。
全てを受け入れてもらったわたしの首には、決して切れることのない「主従としての信頼」という、見えない
首輪(絆)を撒きつけていただいているのが分かるから。。
この
首輪、私が努力を怠らない限り、年々成長していくと思っています。
もっともっと太くて、固くて、重い
首輪に成長させていきたいと願っています。
全ては私次第。
主様がそこに居てくださることを感じながら、努力を続け、成長させていただきたいと思います。
見えない首輪。
主様と私だけが感じられる絆を大切にしたいと思います。
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